概要
-
本会の区域は、千代田区神田淡路町ニ丁目奇数番地とする。
-
本会の会員は、上記区域に住所を有する世帯及び企業をもって構成する。
-
但し、旧居住者等、区域外に住所を有する世帯及び企業であっても会長が会員と認めた者についてはこの限りではない。
-
本会は、淡路町二丁目町会を愛する心を有する世帯及び企業が会員となり、会員相互の理解と親睦及び福祉の増進を図る。
-
会員が協力して地域課題の解決等に取り組むことで、住みよい働きやすい地域社会に資することを目的とする。
-
江戸時代この界隈は、武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。古い地図を見ていくと、永井信濃守の屋敷が松平伊豆守の屋敷となりのちに若狭小浜藩酒井家の上屋敷(藩主の屋敷)となっています明治五年(1872)、ここに神田淡路町二丁目という名前が正式に付けられました。町名の由来とされる淡路坂は、鈴木淡路守の屋敷があったことにちなんでいます。
-
明治のはじめ、現在の淡路公園の場所に、明治後期の日本を代表とする知識人を輩出した共立学校(のちの開成学園)が創設されます。正岡子規や南方熊楠などもここで学んでいます。また町内には一時期、『たけくらべ』『にごりえ』などで知られる女流作家で、歌人でもあった樋口一葉も住んでいました。淡路町は文化の町となり、その進取の気風は町並みにも表れていました。
-
大正末期から昭和初期にかけては、昌平橋近くに活動常設館(映画館)の名門である神田シネマパレスがあり、多くの人でにぎわっていました。明治八年(1875)に開校して以来、地域コミュニティのシンボルであった淡路小学校は、平成五年(1993)に統合され、117年の歴史を閉じました。
Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。
情報はこちらに掲載しています
定期的にご確認お願いします